目指せ三役! 佐田の海 師匠の存在 元小結両国の来歴 現役時代

 1985年3月場所に大学時代からのライバルである栃乃和歌(明治大学)とともに幕下付出で初土俵を踏んだ。その後も栃乃和歌と競い合い、1986年3月場所で新十両となった。その後1987年3月場所で新入幕を果たすと同時に四股名を「小林山」から出羽海部屋伝統の「両国」へ、下の名も1989年9月から「梶之助」へそれぞれ改名した。入幕から2場所連続で勝ち越したことで同年7月場所では早くも小結へ昇進し、大関候補として周囲から期待された。しかし何度か好機がありながら関脇には昇進できず、平幕中位に甘んじていた。

 その後も小結と平幕上位を行ったり来たりしていたが、千代の富士から3個金星を獲得するなど千代の富士キラーとして活躍した。しかし1992年7月場所で左大腿部屈筋を挫傷する重傷を負ったため、12日目から途中休場した。また大学時代に痛めた腰の負傷によって、以降は思うような相撲が取れなくなった。そして十両に陥落し、1993年1月場所で幕下転落が確定的になったため、1992年12月に現役引退を発表し、年寄・中立を襲名した。

続く