肥後ノ城引退について 相撲の取り口、一山本に関して

 体格は身長180センチ、体重135キロであり、恵まれている方ではなかった。相撲は押し相撲を得意としており、相手の体を起こしての押し相撲で押し切る相撲を得意としていた。一方足腰は少し硬く、相手にいなされたりするとバランスを崩すことも多かった。廻しを取っての相撲も取れないことはないが、やはり突き押しで一気に攻めるのが肥後ノ城の相撲だった。関取経験は十両を4場所務めただけであり、他の関取経験者よりも実績が劣るのは否めない。そして地味な存在だったが私の記憶にはしっかりと残っている。おそらく覚悟をもって土俵に上がっていたからだと思う。押し相撲が得意だが引く相撲はあまりなかったというのもあるかもしれない。

 それではなぜ、肥後ノ城が気になったのか?。それはやはり脱サラして関取になったということに尽きる。そんな力士はあまりいないので十両昇進時は特に話題となった。おそらくその影響だったと思うが、相撲協会は2016年9月に、23歳未満という新弟子検査受験の年齢制限に対し、幕下及び三段目付け出し基準を満たさなくても、相撲など各競技で実績があると理事会が承認すれば25歳未満まで受験対象に含めることを決定した。他にも現在は力士の数自体が少ないというのもあり、力士の数を増やしたいという協会の思惑も見え隠れしている。そしてこの制度の恩恵を最初に受けたのが今場所十両優勝を果たした一山本である。

 一山本は中央大学出身だが、学生時代は目立った実績を残せず、大学卒業後は北海道福島町役場に就職し、公務員になったことで小学校の卒業文集に書いた夢が叶った形となった。そして町役場に勤務する傍らで、町内の小学校で相撲の普及に取り組み、コーチとして相撲の指導をしていた。しかし相撲に取り組んでいるうちに大相撲への熱意が再燃した。当時既に23歳と新弟子検査の年齢に抵触していたため、本来なら入門が認められないところだが、先程の年齢制限の緩和で23歳2か月で新弟子検査を受検することが認められた。その後は2021年7月場所に新入幕を果たすなど活躍している。こういった隠れた才能が開花したという点で肥後ノ城が果たした役割は非常に大きい。

続く