元大関の肩書を嫌う男! 正代 来歴 優勝を逃した2020年1月場所
翌2020年1月場所は西前頭4枚目という地位だったが13勝2敗の好成績で4度目の敢闘賞を受賞した。この場所は白鵬、鶴竜の両横綱が途中休場した。また大関も貴景勝は優勝争いに加わったものの、豪栄道はカド番を脱出できず負け越し、場所後に引退を表明した。よって平幕ながら優勝の可能性は十分あった。そして9日目は貴景勝との1敗対決を制し、勝ち越しを決めた。役力士は貴景勝を除いて総崩れであり、この時点で優勝争いで有利に立った。
しかし意外なライバルが一人いた。徳勝龍である。9日目終了時点で優勝争いのトップは正代と徳勝龍の2人となった。徳勝龍の番付は幕尻の西前頭17枚目であり、先場所は十両で相撲を取っていた。また正代と違って三役経験もなければ上位力士と対戦した経験もほとんどないということで、実績は大学時代を含めて正代の方が格上である。また平幕下位でも実績があれば後半戦から番付が上の力士をぶつけたものと思われる。しかし実績がなかったこともあり、終盤まで上位力士との対戦が組まれなかった。
結局両者譲らず、14日目に1敗同士での直接対決となった。勝った方が優勝に大きく近づき、負ければ優勝から大きく後退する。相撲は当たってすぐに正代が得意の左を差し、寄って前に出た。しかし徳勝龍が土俵際で左に体を開いて突き落としを決めた。正代が、というよりもこの場所は徳勝龍が10日目から連日突き落としで勝っており、「伝家の宝刀」が炸裂していた。競馬でいえば一世一代の大駆けのようなものであり、勢いを止めることができなかった。そして千秋楽は勝ったものの徳勝龍も貴景勝に勝ち、初優勝は成らなかった。
優勝を逃す結果となり、本人は悔しかったに違いない。しかしこの悔しさがこの後の原動力につながったと思う。そう考えると優勝できなかったことは決して悪くなかったと言える。
それでも13勝のハイレベルな成績ということで翌3月場所は3年ぶりの三役となり、西関脇となった。そして8勝7敗という成績で三役では初となる勝ち越しを決めた。
続く
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