角界のスプリンター! 尊富士 来歴 優勝パレード、そして現在まで

 5月1日、五所川原市に凱旋し、優勝パレードを行った。パレードは尊富士が生まれた金木町で1度目、五所川原市中心部で2度目が行われ、金木町には2万人、五所川原市中心部では3万5千人が訪れ、計5万5千人から祝福を受けた。また師匠は無理はさせず、長い目で見て休場させる方針を示した。

 5月場所は「右足関節外側靭帯損傷で約3週間の休業を要する見込み」との診断書を提出し、全休した。その後6月19日の稽古の際には、同月下旬の大阪での合宿で相撲を取れれば出場すると語り、7月場所での土俵復帰に意欲を示した。7月場所は東十両2枚目に落ち、優勝から1場所での降下となった。全休すれば幕下陥落が確実な計算となるため、中日から途中出場したが力の違いを見せ、2連勝した。しかし今度は左大胸筋部分断裂と診断され、10日目に再休場となった。8月15日の夏巡業青森場所は凱旋巡業となり、部屋の同じ青森県出身の錦富士とともに大声援を受けた。その後9月3日から相撲を取る稽古を再開し、4日の取材では場所初日からの出場に意欲を見せた。

 9月場所は2度目の十両優勝を果たした。14日目に優勝が決まった。そして千秋楽も勝ち、13勝としたことで来場所の再入幕が濃厚となった。なおこの十両優勝により、「1年以内に十両優勝➞幕内優勝➞十両優勝」という史上初の珍記録も達成した。11月場所は再入幕となり、西前頭16枚目となった。

続く