元横綱・曙の死去に関して ハワイ出身力士の紹介 小錦 小錦旋風と右膝の大怪我に関して

・小錦

 ハワイ州ホノルル出身であり、高砂部屋所属だった。また身長187センチ、体重236キロであり、突き・押し・右四つ・寄りを得意としていた。最高位は大関であり、1980年代~90年代に活躍した。ハワイ勢でいえば高見山とは同部屋であり、弟弟子だった。また曙とは同じ高砂一門であり、先輩大関として稽古を付けた。

 忘れもしないのが入幕二場所目となった1984年9月場所である。番付は西前頭6枚目だったが12勝3敗の好成績で殊勲賞と敢闘賞を受賞した。初顔の千代の富士、隆の里の両横綱からそれぞれ初金星を奪った。また綱取りだった大関若嶋津も倒すなど上位陣をなぎ倒した。特に凄かったのが千代の富士戦である。立ち合いから小錦が突っ張ると千代の富士がなかなか懐に入れない。そのまま千代の富士は防戦一方となり、小錦が押したところで千代の富士の両足が土俵を割ってしまった。当時見ていたが、これはかなり衝撃的だった。体が大きいだけでなくスピードがある。そして足腰も柔らかい。まさに黒船襲来であり、こんな力士をどうやって止めるのかという雰囲気が漂っていた。また場所前の巡業で上位陣が小錦との稽古を避けた結果でもあった。

 その後1986年5月場所8日目の北尾、後の双羽黒との対戦で、取り直しの一番で小錦が吊り上げようとしたところで北尾がさば折りをかけた。さば折りとは廻しを取って強く引き付け、上から圧迫するようにして相手の膝を土俵に付かせる技である。この技を掛けられると腰や膝に大きな負担がかかるため、成長途上の小・中学生のアマチュア相撲では禁止される場合が多い。また北尾は身長189センチの長身であり、技が決まりやすい条件が揃っていた。そして両社合わせて400キロ以上の体重が小錦の右膝に集中し、耐えきれずに靭帯を損傷、骨折という大怪我を負った。その後二場所連続休場を余儀なくされたが、右膝の怪我は完治することなく、後遺症に苦しめられることとなった。

続く