琴ノ若は横綱になれるのか? 所属する佐渡ヶ嶽部屋の元大関との比較 その1

・所属する佐渡ヶ嶽部屋の元大関との比較

 元大関琴風の尾車親方によると横綱誕生は佐渡ヶ嶽部屋の悲願のようである。そして横綱は琴ノ若の祖父の琴櫻以降出ていない。よって琴ノ若にかかる期待は非常に大きい。

 琴櫻以降、佐渡ヶ嶽部屋は大関を四人輩出している。琴風、琴光喜、琴欧洲、琴奨菊の四人である。それでは四人を紹介したい。

 琴風は三役に上がりながら左膝の大怪我で幕下まで陥落したが怪我を克服し、1981年11月場所で大関に昇進した。そして大関を22場所務めた。現在でいえば大関まで上がったものの怪我と糖尿病で序二段まで番付を下げ、横綱に昇進した照ノ富士と似ている。大関時代は前半戦は白星を並べるも後半戦は上位力士との対戦で勝てず、優勝争いから脱落するといった場所が多かった。また1984年に立ち合いの手つきが厳格化されたことも琴風にとっては痛かった。慢性的な両膝痛を抱えており、負担が大きくなった。結局5場所後には大関から陥落し、その2場所後で現役引退となった。そのあおりを受けたのは琴風だけではない。当時横綱だった隆の里も膝が硬かったことが原因で結果を残せず、厳格化以降は一度も優勝できないまま土俵を去っている。よって厳格化がなければもう少し大関を務められたと思っている。ただ同時期に大関で活躍した若島津とは違って横綱に近づいた大関とは言えない。

 琴光喜は日大では二年連続でアマチュア横綱を獲得するなど活躍し、鳴り物入りで角界入りした。当然ながら出世は早く、2001年9月場所では幕内在位7場所目という史上3位のスピード記録で幕内最高優勝を果たした。そして大関獲りとなったが今でも悔やまれるのが2002年1月場所である。12勝3敗の好成績だったが14日目に当時平幕の武雄山に敗れた印象が悪かったこともあり、昇進が見送られた。その後は怪我が相次ぎ、結局大関に昇進したのは5年以上経った2007年9月場所となった。その間に朝青龍が一気に横綱に駆け上がって一時代を築いており、明暗が分かれた印象がある。その後2010年5月場所中に大相撲野球賭博問題が発覚し、関与した疑いで同年7月場所前に解雇された。早く大関に上がっていれば一気に横綱に上がれた可能性もあり、結果的にはチャンスを逃したのが痛かったと言える。

続く