徳勝龍引退について 来歴 その1

 徳勝龍は奈良県奈良市出身で木瀬部屋所属の力士だった。身長183センチ、体重190キロであり、突き・押しと左四つの相撲を得意としていた。奈良県高市郡高取町に生まれ、小学一年生まで同地で育った。その後中学卒業までの間を橿原市で暮らした。生後半年で10キロ、そして小学校卒業時には100キロに達しており、幼少から体が大きかったようだ。三歳の時から柔道を始め、小学二年で野球を始めた。そして小学校四年生の時に橿原市の相撲道場で相撲を始めた。柔道と野球を習うスポーツ少年であり、活発な上に食欲も旺盛だった。なお野球は好きだったが自信がなく、走れないということで最終的に競技を相撲一本に絞った。

 中学からは大阪府岸和田市の右門道場へ通い、家から車で一時間半もの道のりの道場まで週3日父が送迎していた。中学三年次の相撲の大阪大会では澤井豪太郎、後の大関・豪栄道を破り、その時の相撲が明徳義塾高校相撲部の浜村敏之監督の目に留まり、勧誘された。また中学では生徒会活動にも取り組み、副会長として開校50周年記念行事に田村亮子を招くことに成功している。

 中学卒業後は明徳義塾高校に進学。高校二年生でインターハイ団体優勝を経験し、個人では二年生の時に国体16強、三年次に金沢大会8強などの成績を残した。

 高校卒業後は近畿大学経営学部に進学。学生横綱にはなれなかったものの西日本学生相撲選手権大会、全国大学選抜相撲高知大会で優勝するなどした。そして近畿大学相撲部監督であった伊藤勝人は「とにかく前に出ろ」と指導する指導者が多い中「前に出た後なら、はたいてもいい」と徳勝龍の相撲の幅を広げてくれた人でもある。また現在も幕内で活躍している宝富士は大学の同学年だった。

続く