大嶽部屋継承に関して 元幕下友鵬に関して 来歴と十両昇進の厳しさ
大鵬部屋、そして大嶽部屋を語る上で不可欠な人物である。現役時代は主に「勇鵬」の四股名で相撲を取っていた。そして世話人転身後は「友人が多くできるように」と「友鵬」と改めたというエピソードがある。
友鵬は沖縄県宮古島市出身で大鵬部屋所属だった。また現役時代は身長178.5センチ、体重128キロであり、押しを得意としていた。沖縄県立宮古高校で柔道を始め、沖縄県の新人戦で3位に入った。準決勝で対戦した相手の父親が大鵬部屋大阪後援会と知り合いだった縁で、1975年2月に大鵬が自ら宮古島までスカウトに来た。上京して一旗上げたい気持ちが強まり、大鵬部屋に入門し、高校は中退した。
1975年5月場所に「宮古島」の四股名で初土俵を踏んだ。その後「飛鳥王」を経て「勇鵬」の四股名で幕下に定着した。1987年1月場所では西幕下筆頭と関取まであと一歩に迫った。しかしこの場所は3勝4敗と負け越し、十両昇進は果たせなかった。その後三段目に下がった1991年7月場所で負け越したのを機に、翌9月場所は出場せずに現役を引退した。その後世話人に転身したが2017年9月8日に虚血性心不全のため都内の自宅で死去した。60歳だった。
友鵬の一年後に元十両・大竜が大鵬部屋に入門しており、同時期に活躍した。しかし大竜は十両に昇進し、明暗が分かれる格好になった。また友鵬の10歳年下で、7年遅れで大鵬部屋に入門した大若松(最高位東前頭13枚目)にも追い越された。厳しく言えば十両昇進に向けては幕下10枚目以内の位置をキープする必要がある。しかしそれはできなかった。おそらく自己最高位の場所が力士としてのピークだったと見ている。それでも筆頭まで番付を上げたというのは能力はあったはずである。そうはいっても大相撲の世界は甘くない。十両を目前に引退した力士はゴマンといる。よって友鵬だけではないのが現実である。
続く
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