大嶽部屋継承に関して 大鵬部屋創設からの流れ 大鵬部屋時代

 元横綱・大鵬は1971年5月場所限りで現役を引退し、一代年寄・大鵬を襲名した。そして同年12月に十数名の内弟子と花籠部屋所属の元幕内・花光の大嶽親方を引き連れて二所ノ関部屋から分家独立して大鵬部屋を創設した。大鵬の独立に関しては二所ノ関親方はそのまま継がせたい意向であり、独立を快く思っていなかった。しかし大鵬の後援者の説得によって二所ノ関親方が納得した旨を大鵬が後に語っていたようである。

 創設当初はネームバリューもあり入門希望者が非常に多く、所属力士が50人の大部屋となった。その後1977年に大鵬が脳梗塞で倒れて以降は一時の勢力は衰えたが、関脇・巨砲や前頭2枚目・嗣子鵬などが関取に昇進し、多数の個性派を輩出した。

 元幕内・花光が放駒に名跡変更して1975年5月場所を以て廃業して以降、部屋付きの親方が不在となっていた。しかし病床に伏した大鵬一人で力士指導が困難となり、同じ二所一門に所属する元幕内・若ノ海の大嶽親方や、元幕内・大文字の西岩親方らが大鵬部屋に移籍し、大鵬の補佐役を務めた。

続く