目指せ三役! 佐田の海 境川親方の男気エピソード 部屋での信頼関係
佐田の海にとっての最大の危機は2011年9月場所に訪れた。この場所は東十両8枚目で迎えていたが、千秋楽に武州山(現待乳山親方)に敗れた際に右足首を脱臼骨折し、全治3か月の大怪我と診断された。当時は左目眼窩底も損傷し、物が二重に見える状態だった。関取7場所目、24歳の若さで引退も頭をよぎった。
失意のまま千秋楽パーティーを終え、足立区の部屋に戻った。玄関先で師匠の境川親方の顔が視界に入ると、悔しさと無念さと申し訳なさで涙が止まらなくなった。言葉を交わさないまま個室にいると、ほどなくして師匠夫妻が来てくれた。「要(本名)、一番いい治療法を探して、俺たちがサポートするからな。腐らず頑張ろうな」とドスの効いた声の中に優しさも入り交じった親方のそばで、何度もうなずくおかみさんの姿も胸に突き刺さった。「あの夜で自分は本当に救われた。同じところで暮らしていたからこそ、師匠もおかみさんも自身の様子に気付いてくれたのだと思う」と述懐する。
翌場所は全休で幕下に落ち、関取復帰まで2年以上を要した。それでもかつて新十両昇進目前で足踏みしながら壁を破った兄弟子の宝寶山(現立田川親方)の姿を目の当たりにしており、「師匠は『頑張っていれば必ずチャンスは来る。腐らず頑張れ』と励ましていて、自分にも同じことを言っていた。宝寶山関を見ていたから頑張れた。ずっと一緒にいなかったら見られないことだったので、それも相撲部屋のいいところなのかな」と話す。
そして佐田の海は関取返り咲きから2場所で新入幕を果たした。その後4度の十両転落にも耐え、幕内在位59場所目となる。怪我を言い訳にせず、陰日なた関係なく努力を怠らない姿勢は角界の模範生と言っていい。「年齢とともに悔しくても泣かなくなった。でも何か師匠の顔を見ると泣きそうになることがある」と照れ笑いする。人情味あふれる「オヤジと息子」の絆は、相撲部屋という空間で育まれた。
続く
最近のコメント