投稿者: T-マネ

  • これぞ理想の横綱! 照ノ富士 来歴 現役引退

     そして次の2025年1月場所は横審から圧力を掛けられていた訳ではない。しかし本人は覚悟を決め、3場所ぶりに初日から出場した。初日は若隆景に肩透かしで敗れて黒星スタートとなった。その日の夜、師匠の伊勢ヶ浜親方に「もう1回負けたら、引退したい」と伝えたという。翌2日目は館内に母、妻と2歳になる一人息子の照務甚(てむじん)君を呼んでいた。母をモンゴルから呼んでいるのが強い決意の表れのように見えた。この日は隆の勝に勝ち、家族の前で白星を挙げた。しかし2日後の翔猿戦は送り出されて2敗目となり、5日目から休場した。その後1月場所6日目後に現役引退の意向が報じられた。翌17日、日本相撲協会は照ノ富士の引退を発表し、同日の理事会で現役引退と年寄「照ノ富士」を承認したと発表した。

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  • これぞ理想の横綱! 照ノ富士 来歴 区切りとなる10回目の優勝

     次の5月場所は私は休場するものだと思っていた。しかし出場を決断したので驚いたことを覚えている。結局初日は大の里に敗れ、2日目から休場した。しかし場所後の横綱審議委員会では「場所に少しでも出ようとした敢闘精神、責任感の表れは評価できる」とされ、9月場所までは静観する方針を示した。

     7月場所は場所前に相撲を取る稽古ができており、出場した。そして初日から10連勝し、終盤は疲れもあって黒星が増えたものの、隆の勝との優勝決定戦を制した。またファンに公言していた10度目の優勝を果たした。

     しかし次の9月場所は両膝の慢性的な痛みや糖尿病に加えて7月場所の疲れもあり、初日から休場した。そして翌11月場所も相撲を取る稽古ができておらず、初日から休場し、2場所連続での休場となった。

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  • これぞ理想の横綱! 照ノ富士 来歴 腰痛による3場所連続休場と9度目の優勝

     次の7月場所は場所前にぎっくり腰になったことを明かしたが、軽症を強調していた。しかし場所では2日目から連敗し、4日目に「腰椎椎間板ヘルニア及び腰椎椎体終板障害により1か月の加療が必要」との診断書を提出した。そして同日以降を休場した。

     場所後の夏巡業は参加したものの相撲を取る稽古はできておらず、場所直前まで相撲を取る稽古に復帰できなかったので9月場所は初日から休場した。次の11月場所も初日から休場ということで場所後の横綱審議委員会では2024年1月場所への出場を求めた。

     その1月場所は調子が上向き、相撲を取る稽古ができていたので出場を決定した。この場所は若元春と正代に金星を許したものの、それ以外の力士には勝って13勝2敗とした。そして琴ノ若との優勝決定戦を制し、9度目の優勝を果たした。またこの優勝で全6場所制覇を達成した。しかし次の3月場所は4日目以降いずれも金星配給という形で3連敗を喫し、翌日から休場した。薄々は感じていたが、1場所結果を残せても2場所続けて結果を残せる体調ではなかった。その意味では横綱としての役割を果たせているとは言えない。しかし両膝の痛みに加えて糖尿病も抱えており、横綱昇進時には休場が増えることはある程度想像できた。

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  • これぞ理想の横綱! 照ノ富士 来歴 両膝の手術による長期休場と復活優勝

     雲行きが怪しくなってきたのが次の9月場所である。9日目までで5勝4敗と振るわず、10日目から休場した。古傷の両膝の調子が思わしくなく、特に右膝は骨が完全にずれるほどのダメージを負い、「人工関節が必要」と言われるほどだった。その後両膝の手術を受け、翌11月場所から3場所連続で休場した。また両膝に加えて糖尿病も抱えていた。2023年4月17日、靖国神社の奉納大相撲に参加した時に、「(両膝の)手術をして足の負担を減らそうと思って20キロ減らした後、また20キロ戻したら悪化した」と説明している。コメントを見ても両膝以上に糖尿病のことを多く語っており、その苦労がうかがえた。

     復帰場所となった2023年5月場所は中日に勝ち越し、優勝争いで単独トップに立った。翌9日目は明生に金星を許したものの10日目以降は再び白星を重ねた。そして14日目は星一つ差で追っていた霧馬山を破り、千秋楽を待たずして8度目の優勝を決めた。千秋楽は貴景勝を下して14勝1敗とし、有終の美を飾った。見事な復活優勝だったが、横綱の責任感と、目標とする優勝10回への思いが原動力だったようである。

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  • これぞ理想の横綱! 照ノ富士 来歴 新横綱場所~2022年7月場所まで

     新横綱として迎えた9月場所は中日勝ち越しを決めるも後半戦は2敗した。しかし千秋楽は星一つ差で追っていた妙義龍が敗れた時点で5度目の幕内優勝を決めた。そして千秋楽も勝って成績は13勝2敗だった。

     次の11月場所は9月場所後に白鵬が引退したので一人横綱となった。4場所連続となる中日勝ち越しを決めると10日目に単独トップに立った。その後も全勝を守ると14日目にただ一人1敗でで追っていた阿炎に勝ち、千秋楽を待たずして二場所連続6回目の優勝を決めた。翌日は貴景勝を押し出し、自身初となる全勝優勝を果たした。2021年はこれで優勝回数が4回となり、照ノ富士一強時代の到来を予感させた。また優勝一夜明け会見では優勝回数二桁に到達することを今後の目標に掲げた。

     次の2022年1月場所は御嶽海と阿炎との優勝争いとなったが14日目は阿炎に敗れて御嶽海に単独トップを許した。そして千秋楽は御嶽海に敗れ、新横綱からの3場所連続優勝は逃した。

     翌3月場所は6日目から休場した。5月場所は8日目までで3敗となったが、その後は勝ち続け、12勝3敗で7度目の優勝を果たした。次の7月場所は13日目までで2敗で逸ノ城とトップに並んでいたが終盤は連敗し、逸ノ城の平幕優勝を許した。

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  • これぞ理想の横綱! 照ノ富士 来歴 横綱昇進と日本国籍取得

     4年ぶりに大関に復帰した次の5月場所は初日から10連勝と圧倒的な強さを見せた。しかし終盤は連敗して12勝3敗となり、貴景勝との優勝決定戦となった。決定戦では貴景勝を破り、自身初の2連覇を達成した。また大関復帰場所での優勝も史上初となった。

     翌7月場所は白鵬とともに絶好調であり、初日から13連勝した時点で優勝次点以上の成績が確定した。そして伊勢ヶ浜審判部長から昇進条件を達成したとの見解が示され、横綱昇進を決定的なものとした。連勝は14日目まで続き、千秋楽は白鵬との全勝対決に敗れ、3連覇を逃した。しかし場所後の番付編成会議を経て、第七十三代横綱となることが正式に決定した。元号が令和になって以降初のの横綱、平成生まれでも初の横綱となった。モンゴル出身としては2014年の鶴竜以来、7年ぶり5人目の誕生となり、外国出身としては7人目となった。また大関陥落経験者の横綱昇進は1979年7月場所後の三重ノ海以来42年ぶり2人目である。そして土俵入りは師匠の元横綱・旭富士と同じ不知火型を選んだ。

     2021年8月4日付の官報において照ノ富士の日本国籍取得が告示された。外国出身横綱の日本国籍取得は5人目となった。帰化に伴い、日本名を「杉野森 正山(すぎのもり せいざん)」とした。

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  • これぞ理想の横綱! 照ノ富士 来歴 大関復帰まで

     次の同年9月場所は東前頭筆頭だったが11日目に勝ち越しを決めたものの12日目に敗れて優勝争いから脱落した。そして翌13日目から左膝の変形関節症のため休場した。

     翌11月場所は東小結だったが千秋楽に大関・貴景勝を破って13勝2敗とし、貴景勝との優勝決定戦に臨んだ。しかし決定戦では敗れて優勝を逃したが技能賞を受賞した。

     次の2021年1月場所は東関脇となった。6日目までは3勝3敗だったがその後は白星を伸ばし、11勝4敗という成績で2場所連続となる技能賞を受賞した。

     同年3月場所は二度目の大関獲りの場所となった。12日目に9勝目を挙げ、「三役で直近3場所33勝」の昇進目安に到達した。しかし直前場所が9勝で昇進した前例はなく、当時は師匠の伊勢ヶ浜親方が審判部長を務めていた。結局その後も白星を伸ばし、12勝3敗で4場所ぶり3度目の優勝を果たした。また関脇以下の地位で3度幕内優勝を達成したのは史上初となった。場所後照ノ富士は「師匠の顔に泥を塗ることは絶対に許さないという気持ちだった」とコメントした。そして場所後の番付編成会議で大関復帰が決定した。

    続く

  • これぞ理想の横綱! 照ノ富士 来歴 土俵復帰~幕尻優勝まで

     2019年3月場所は5場所ぶりの土俵であり、序二段まで番付を下げていた。やはりここでは力が違い、決定戦は敗れたものの7戦全勝で場所を終えた。その後は3場所連続で6勝をマークすると2019年11月場所は西幕下10枚目で7戦全勝優勝を果たし、翌場所の関取復帰を決めた。大関経験者、幕内経験者、幕内最高優勝経験者が序二段陥落後関取に復帰したケースはいずれも史上初となった。

     ここまできたらやはり実力が違う。また生活改善とトレーニングの成果もあり、体の張りも動きも良くなった。十両に復帰した2020年1月場所は13勝2敗で十両優勝を果たすと次の3月場所は10勝と二桁勝利を挙げ、次の場所での幕内復帰が決まった。

     翌2020年7月場所は東前頭17枚目だったが9日目に勝ち越すとその後も白星を伸ばし、13日目は新大関の朝乃山との1敗対決を制して単独トップに立った。しかし14日目は正代に敗れて2敗目となった。その後の取組で同じ部屋の照強が朝乃山を足取りで破り、援護射撃を見せた。そして単独トップのまま迎えた千秋楽は御嶽海に勝ち、5年ぶり2回目の幕内優勝を果たした。元大関の平幕優勝は魁傑以来44年ぶり史上二人目、再入幕場所での優勝は同年1月場所の徳勝龍以来史上二人目、幕尻優勝も同年1月場所の徳勝龍以来史上三人目、30場所ぶりの優勝は琴錦に次ぐ歴代二位のブランク優勝、過去に幕内最高優勝した力士が十両以下に陥落後再び優勝したのは史上初の快挙となった。

    続く

     

     

  • これぞ理想の横綱! 照ノ富士 来歴 闘病生活

     そして闘病生活は1年以上を要した。当時189キロあった体重は、162キロまで減った。そんな時に支えてくれたのが今の奥様である。本人の前では気丈にふるまい、退院後の食事も、奥様が先生からアドバイスを受けて、食事を毎日作ってくれたようである。このように奥様の献身的な支えがあって体が徐々に回復し、内臓の治療中に、両膝の手術も無事に終わった。

     その一方で病気になった時からずっと、相撲を辞めたいとしか思っていなかった。奥様は全面的に理解してくれた。ということで説得すべきは師匠、ただ一人である。しかし師匠は一向に首を縦に振らない。親方が引退を認めないうちは、正式に辞められないからどうしようもない。そして師匠は結局辞めさせなかった。私には師匠の強い信念を感じた。この部分は照ノ富士が横綱に昇進できた一つの分岐点であり、また後ほど語りたい。

     結果的に師匠に根負けする形で覚悟を決める状況に追い込まれた。そして専属でついてくれるトレーナーをモンゴルから呼び、一年半かけて筋力トレーニングで筋力を取り戻した。

    続く

  • これぞ理想の横綱! 照ノ富士 来歴 糖尿病発覚

     次の5月場所は連敗スタートだったが翌日からは11連勝し、優勝争いを演じた。しかし14日目に優勝を争っていた白鵬に敗れ、またしても優勝は逃した。場所後に古傷の左膝の遊離軟骨を除去する内視鏡手術を受けた。その後膝の状態を見ながらトレーニングを再開し、自分の体を追い込んだ。

     しかし7月頃に体の異変に気づき始めた。トレーニングをやっても勝てなくなってきた。体中がむくんで、できものができる。何をしても疲れるし、頭がグラグラする。明らかに怪我とは無関係である。すると照強が言った。「大関、もしかして、糖尿とかあるんじゃ・・・」。そして病院で検査を受けると通常の血糖値を大幅に上回っており、やはり糖尿病だった。それに加えて腎臓に石ができていた上、C型肝炎まで発覚した。そして本人によると番付を落とした原因は怪我ではない。これらの重い内臓疾患だった。

     当時の土俵を覚えているが、観ていても体に力が入っていない上に覇気が感じられない。他の力士以上に恐い顔で相撲を取る力士なので尚更である。大関に上がった頃と比べると信じられないといった内容であり、心配したのを覚えている。

    続く