負けん気の塊! 若碇改め藤ノ川 部屋の紹介
元小結・柏戸は1949年に現役を引退して伊勢ノ海を襲名し、伊勢ノ海部屋を再興した。そして横綱・柏戸や関脇・藤ノ川といった関取を育て上げた。
3代伊勢ノ海から「柏戸」の四股名を名乗った者が年寄・伊勢ノ海を代々継承してきたが、1982年12月に10代伊勢ノ海親方が亡くなった際に、既に鏡山部屋を興して独立していた元横綱・柏戸の鏡山親方が伊勢ノ海襲名を固辞したため、8代続いた伝統が途絶えた。そのため伊勢ノ海部屋の部屋付き親方だった柏戸の弟弟子の藤ノ川の立川親方が伊勢ノ海を襲名して継承した。そして関脇・土佐ノ海や幕内・藤ノ川、北勝鬨などといった関取を輩出した。
2011年に11代伊勢ノ海が定年退職を迎えたため、伊勢ノ海部屋の部屋付き親方の勝ノ浦(元幕内・北勝鬨)が11代と名跡交換する形で伊勢ノ海を襲名して継承した。現在までに藤ノ川の他に関脇・勢や小結・錦木といった関取を育てている。
江戸時代からの伝統を持つ部屋として、多くの所属力士には一人一人江戸時代からの部屋伝統の四股名を授け、命名の際は親方がその由来をしっかりと教え込む。そして出世に伴ってより大きな四股名を名乗らせ、最終的には「柏戸」を目指すこととなる。これは昨今の主流となっている「親方の現役時代の四股名から一字取る」とは一線を画している。
さて2025年7月場所現在、部屋には力士が14人おり、中規模の部屋である。関取は藤ノ川と錦木の2人であり、幕下には鳴滝、漣、碇潟の3人がいる。鳴滝と漣は幕下の常連といったイメージがあり、やはり期待は藤ノ川の弟の碇潟ということになる。兄同様負けん気が強そうであり、プロ向きの性格である。
続く
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