これぞ理想の横綱! 照ノ富士 大関時代 右膝の大怪我
新大関の場所は11勝4敗だった。二桁勝利ということで大関としての役割を果たした。そして大関2場所目の2015年9月場所で、相撲人生における転落のきっかけとなる出来事が起こった。13日目の稀勢の里戦で右膝を痛めた。そして検査の結果、前十字靭帯が断裂していた。手術をすると3場所休場しなければならず、大関から陥落するのでこのまま相撲を取り続けることを選択した。痛み止めを打てば、相撲を取れないことはないというレベルだったようだ。
この後は上半身に頼った相撲を取るようになった。膝が悪いので仕方がない部分もある。しかし成績が上がらなくなった。翌11月場所は9勝6敗だったが、右膝をかばって相撲を取っていたため、今度は負担のかかっていた左膝の半月板を損傷した。そして次の2016年1月場所は4日目に碧山を寄り切った際に、右の鎖骨を骨折した。翌日は右腕が全く使えないまま敗れ、6日目から休場した。その後1月18日に左膝の内視鏡手術を決行した。翌3月場所は自身初のカド番となったが12日目に鶴竜を下し、カド番を脱出した。本人的にはここから2016年、2017年は、怪我に苦しめられながら、だましだまし土俵に上がり続ける2年間となった。
2016年5月場所は膝の状態が悪化したこともあり、2勝13敗という成績に終わった。この後はカド番を迎えては8勝という繰り返しであり、大関の地位を何とか守っていた。
続く
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