朝乃山について その2

 初土俵後の朝乃山を振り返ると、ここまでは順調そのものである。また学生相撲出身ではあるが主要なタイトルは獲っておらず、大関とはいえ相撲の完成度は高くない。おそらく高校、大学の指導者が才能を見抜き、大事に育ててきたのだと思う。その才能が大相撲の世界で開花し、大関昇進まではとんとん拍子できたという印象である。立派な体格をしており、あとはもう一つ上を目指すだけである。

 さて話を戻すと深い理由とは何か?それは新型コロナウイルス感染拡大による稽古環境の悪化である。感染拡大を防ぐため、現在は出稽古が禁止されている。土俵での稽古ができなかった5月あたりに比べれば多少はましになっているものの、感染対策を取りながらの厳しい状況であることに変わりはない。

 そして9月場所後から一定の期間を設けて相撲教習所での合同稽古が始まった。しかし朝乃山は部屋での調整を優先し、9月場所後の合同稽古は欠席した。ひょっとしたら本人の意向ではなく、感染拡大を防ぐため師匠が参加を止めた可能性もある。ただ所属する高砂部屋には他に関取はおらず、稽古相手がいない。幕下以下の力士はいるので稽古はできるかもしれないが実戦的な稽古はできない状況である。結局そのことが去年の11月場所初日の霧馬山戦での怪我の原因と思われる。久々に幕内力士と対戦し、幕内力士の強い当たりを受けて故障してしまったというのが本当のところだと思う。

 本来なら番付発表後、約2週間で実戦的な稽古を重ね、初日を迎えるのが力士の仕事である。しかし出稽古は禁止されており、部屋に関取がいない朝乃山は実戦的な稽古ができないまま本番を迎えるしかない。これは朝乃山に限らず、御嶽海や逸ノ城など部屋に他に関取がいない力士にとっては辛い状況である。

続く