安定感抜群! 狼雅 師匠の元大関・雅山に関して 大関陥落
新大関として迎えた2000年7月場所は初日の栃東戦で右肩を痛めたことが響き、6勝9敗で負け越した。翌9月場所はいきなりのカド番となり、勝ち越してカド番は脱出したものの8勝7敗という成績に終わった。その後も負け越してはカド番脱出を繰り返し、3度目のカド番となった2001年9月場所は9日目の海鵬戦で左足を痛めて途中休場した。そして同部屋の出島とともに大関陥落となった。大関在位は僅か8場所であり、短命大関としては当時ワースト3位の不名誉記録となった。また大関在位中は二桁勝利が一度もなく、皮肉にも大関昇進時に異議を唱えた人の指摘通りの結果になってしまった。最近では御嶽海が4場所で大関から陥落するなど珍しくなくなってきている。しかし当時は大関に上がった以上、当分はその地位を守るのが当たり前という時代であり、陥落に関して騒がれた記憶が残っている。
続く
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