負けん気の塊! 若碇改め藤ノ川 来歴 新入幕まで
2023年7月場所は7戦全勝で優勝決定戦を制して三段目優勝を果たした。翌9月場所で幕下昇進後も勝ち越しを続け、2024年1月場所は東幕下15枚目となり、十両昇進の可能性がある15枚目以内の番付となった。さすがに幕下上位に入ると大勝ちはできず、連勝しながらも途中で連敗するケースが目立つようになった。それでも勝ち越しを続けると同年7月場所は初の5枚目以内となる西幕下5枚目となった。そして翌9月場所は西幕下2枚目で4勝3敗で勝ち越し、翌11月場所で新十両となった。親子での関取昇進は史上23組目となった。また元北勝鬨の伊勢ノ海としては、初の子飼いの関取となった。
その11月場所は13日目に7勝目を挙げるも残る2日を連敗して7勝8敗に終わった。次の2025年1月場所も同じく東十両13枚目で迎えた。初日から4連勝し、1敗の後5連勝して優勝争いに加わっていた。しかし11日目の獅司戦で左上腕二頭筋を痛め、翌日から休場となり、9勝3敗3休で終えた。その後同年5月場所は西十両5枚目で12勝3敗の好成績を挙げ、6月30日発表の7月場所番付で新入幕を果たした。そして四股名を若碇から伊勢ノ海部屋の伝統の四股名である藤ノ川に改めることが公表された。改名のきっかけは四代目藤ノ川で先代師匠の伊勢ノ海親方の「俺が生きている間に付けてもらえたら嬉しいな」という言葉だった。四代目は元関脇であり、「今牛若丸」と称されて活躍した。そして師匠にその思いを伝え、若碇が受け入れたようである。これで「藤ノ川」と名乗る力士は6人目となった。また五代目は今年6月6日に亡くなった服部改め藤ノ川祐兒である。同志社大学から鳴り物入りで入門し、将来を期待されたが腰痛のため26歳の若さで現役を引退した。また京都府出身としては父の大碇以来27年ぶりの新入幕となった。そして伯桜鵬を抜き、この場所では幕内最年少関取となった。
続く
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