大相撲

 去年は7月場所で十両優勝を果たすと9月場所は再入幕となり、11勝を挙げて敢闘賞を受賞した。翌11月場所も同じく11勝の二桁勝利で敢闘賞を受賞した。また二場所連続で千秋楽まで優勝争いを演じており、知名度が上がったのは確かである。そして ...

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 最後となるが、力士は短命とはよく言われることである。しかし井筒三兄弟でいえば父の鶴ヶ嶺は77歳まで生きている。一方母は先述の通り43歳で亡くなっており、3人共に母の血筋が受け継がれたのではないかという感じがする。長男の鶴嶺山は60歳 ...

大相撲

 意外だったのは告別式の時に大関霧島が「今でも寺尾の相撲を動画で見て参考にしている」と語ったことである。霧島の師匠の陸奥親方は現役時代は寺尾の兄弟子であり、活躍したのもほぼ同時期だった。あくまで私の想像だが、師匠に勧められたのではなく ...

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 そして井筒三兄弟として見ると個人的には現在活躍している大波三兄弟と比較してしまう。大波三兄弟は父は元幕下若信夫であり、その長男が元幕下で三段目の若隆元、次男は元関脇で平幕の若元春、三男は元関脇で現在は幕下に番付を下げている若隆景であ ...

大相撲

 弟子の阿炎と比較されることも多いが、阿炎は身長は186センチで師匠と同じくらいだが体重は156キロあり、阿炎の方がスケールが大きく、上を目指せる体型をしている。

 相撲の取り口は似ているが、阿炎は突き・押しが得意とはいっ ...

大相撲

 兄の逆鉾も最高位は同じく関脇だったが、逆鉾は関脇を9場所連続で務めていた時期があり、大関候補と言われていた。一方寺尾は大関候補と言われたことはなく、上位力士に挑戦するという立場だった。

 対千代の富士戦に関しては寺尾が1 ...

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 次は1991年3月場所の貴花田戦である。貴花田は後の横綱貴乃花である。この場所は18歳の新鋭貴花田が初日から10連勝での対戦となった。相撲は激しい突っ張り合いとなったが俵に詰まった貴花田が左廻しを取り、出し投げを打つと形勢が逆転した ...

大相撲

 思い出の土俵としては2番挙げたい。まずは1989年11月場所の千代の富士戦である。相撲は立ち合いから寺尾が激しく突っ張るも千代の富士は下からあてがって応戦した。寺尾の突っ張りが何発か顔面にも入る激しい相撲となったが千代の富士が寺尾の ...

大相撲

 相撲の取り口に関しては突っ張り、押し、いなし、叩きを得意としていた。若い頃は回転の速い突っ張りといなしで勝負していた。そして晩年は突っ張りの後、父、兄が、得意としていた両差しの相撲を取るようになった。私の記憶では激しい突っ張りの一方 ...

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 それでも年齢に加えて力士の大型化が進んだこともあり、2000年7月場所はついに十両に転落した。周囲から引退の声も聞かれたが本人は続行を決意。2001年3月場所では5場所ぶりに幕内に復帰した。38歳での再入幕は年6場所制以降では最年長 ...